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2006年10月31日 (火)

ひな祭りの歌

■2005/02/28 Mon  

 講談社のPR誌「本」3月号の安野光雅氏の表紙絵についたエッセイは、こう始まっている。
「留守番電話に声が残っていた。『それでは一曲歌います』と言ったかと思うと、『灯りをつけましょぼんぽりに……』と歌うのである。そんなことをするのは村松以外にない。……」
 これを読んだとたん、「そう、そんなことをするのは村松さん以外にいないなぁ」と今の生活にかまけて忘れていた人を、懐かしく思い出した。村松武司さんは詩人で編集者だったが、生前、ずっとハンセン病患者に詩を教えに通っていたという。ハンセン病患者の間では有名な人なのだ。「そうした志は絶えて口にすることはなかった」とあるように、当時、ぼくはそんなことはまったく知らなかった。
 出版の仕事をしたくてたまらず、何のコネもなしに何十通もの手紙を書いたが、一番最初に返事をくれたのが村松さんだった。健康診断で結核と診断され、某出版社の内定がフイになったとき、村松さんは皇居が見える都内のホテルに部屋を取ってくれた。少しも嬉しくなかったが、それが彼の出来る精一杯の慰めであることはよく分かった。
 退院後、ぼくは医者の忠告も聞かずに上京し、けっきょく数年間、村松さんと同じ職場で『数理科学』の編集をすることになった。ぼくが彼と一緒に仕事をしていたあの頃も、彼は人知れず草津療養所に通っていたということになる。しかし当時、もしぼくがそのことを知ったとしても、何も変わることはなかっただろう。
 亡くなって十年以上を経て、「ひな祭りの歌」と共にはじめてそのことを知る、そして、それが村松武司という人の輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。それは、半世紀を生きてきて始めて味わえる、人生の感動である。

本音

■2005/02/23 Wed  

「独り言」で連れ合いが過激なことを書いている。しかし、これは観念論ではない。連れ合いは、子供の頃に悪さのかぎりを尽くしたきたから、悪というものの本質を知っているのだ。
 連れ合いにならって、もう少し過激なことを書こう。
 官憲は大嫌いだが、その最大の理由は、悪を処罰せず、弱者にその矛先を向けるからである。善意で警察に連絡したのに、まるで犯罪者扱いで生年月日を詰問されるような官憲など、誰が信用できようか。冤罪は官憲が作る。官憲の欺瞞と怠慢は徹底的に糾弾されねばならぬ。
 しかし、それは犯罪者を守れということではない。昨日の新聞に、性犯罪者の出所後の「ケア」などという記事が出ていた。なぜ犯罪者に「ケア」など必要なのか。話は単純きわまりない。悪質な性犯罪者に対する簡単明瞭な処罰はただ一つ、去勢すればよいのだ。なぜそれが出来ないのか。マスコミが良識ある人々の本音を無視して、人権人権と格好をつけるから、善良な人々にとって世の中はますます住みにくくなるのである。

駒ヶ根市

■2005/02/20 Sun  

 信州伊那谷にある駒ヶ根市が、周辺の町と合併して、中央アルプス市になるそうである。
 カタカナの市名としては、目下、セントレア市が話題であるが、そういうことの是非を論じようというのではない。「駒ヶ根」という名前が消えていくことに対するノスタルジアというよりは、怒りのようなものである。
 駒ヶ根という名は、駒ケ岳の麓を表す美しい響きをもった日本語であるが、もともと木曽谷の上松町にあった地名である。その名を、中央アルプスの主峰である駒ケ岳を挟んで反対側の伊那谷の町が、市に昇格するときに、勝手に取ってしまったのである。上松出身のぼくの父親は、そのことをよく嘆いていた。しかし、その当時は、駒ヶ根という名前をあえて「横取り」した、伊那谷の住民たちの美的意識を偉いと思ったものだった。
 しかし、今回の中央アルプス市の浮上で、どうやら、そういうことではなかったということが判明した。たとえ本家でなくても、由緒ある駒ヶ根という名前を捨ててカタカナ名に変えるということは、要するにお調子者にすぎないのではないか。いまや信州とは縁もゆかりもないぼくが、とやかく言える筋合いのものではないけれど。
 一つ提案するとすれば、木曽谷の上松町と木曽福島町は、このさいもっと仲良くなって合併し、本家であることを高らかに宣言して、消える駒ヶ根市を復活させてはいかがであろう。

福袋

■2005/01/05 Wed  

 正月に百貨店などでは、高価な福袋が飛ぶように売れたそうである。
 ぼくには、福袋を買おうという心理がどうにも分からない。同じ夢を買うなら、宝くじの方がまだましだ(これも買わないけれど)。はずれても、社会のために寄付したのだと諦めがつく。福袋で、中身が自分の欲しいものでなかったときは、どうするのだろう? 欲しいものしか買わない身には、たとえ百円の福袋でもご遠慮したい。福袋肯定派の方のご意見をぜひ聞いてみたいものだ。

たけしに芸大教授が勤まるか

■2004/12/02 Thu  

 当隠れバーの辛口薀蓄は、自分で言うのも何ですが、けっこう的を射た予言をしているのではないでしょうか(土砂崩れや、西武鉄道)。そこで、もうひとつ、北野たけしが芸大教授になるそうですが、「1年以内に、嫌気がさして辞める」という予言を致しましょう。
 そもそも、芸大は国立ですから、芸能活動などの副収入は許されないはずなのですが、特例措置が取られるのかどうか、まずそこが疑問です。たけしが芸大の給料だけでやっていけるはずはないでしょう。
 この予言の根拠として、前例があります。リンボウさんは、慶応講師から芸大助教授になりましたが、しばらくして、さっさと辞めてしまわれました。本人は明言しませんが、教授会などくだらぬ雑用と学内政治に嫌気がさしたことは明らかです。たけしが、国立大学の教授会を我慢できるとはとても思えません。辞めるのが順当ですし、もし辞めないとすれば、日頃の反権力は偽善であったということになるでしょう。たけしの真価が問われることになりそうです。

リサイタル評(2) (下の(1)からお読み下さい。)

■2004/10/28 Thu  

 10月24日、神戸御影、世良美術館での多賀みずほピアノリサイタルは、世間の注目はさして浴びなかったが、そうした日本のクラシック界への華麗なる挑戦であった(とぼくは見た)。
 何よりも、お客様に満足して戴くという心を感じさせた。実質100分を超える演奏は、サービス精神に溢れている。モーツァルト、ベートーヴェン、ドビュッシー、ショパン、そしてアンコールはチャイコフスキーとラフマニノフ。作曲家の個性と音色の変化は聴き手を飽きさせまいという弾き手の精神の現れである。そして、それらの変化の妙を、スタインウェンという道具を見事に操ることによって具現する、そのテクニックには、本人は努力あるのみというが、非凡な才能を感じさせる。
 どの曲に共感したかはそれぞれの好みではあるが、客観的に見て、ドビュッシーをこれほど自家薬籠中のものとするピアニストは、稀れではなかろうか。ぼくのすぐ前に、評論家然とした赤いシャツを着た不遜な態度の中年男が座っていたが(拍手もしない)、ドビュッシーの色気に溢れる馨りが絵画の掛かる空間に広がったとき、どこに手品の仕掛けがあるのだろうかという風情で、間抜けたように鍵盤を見つめていた。あなた、どこにも仕掛けはないのです、要は心なのです。
 ある人は、この空間は響きが良くて楽に弾けるわね、とのたまった。馬鹿を言ってはいけない。響きが良ければ音は割れる、それを一音一音クリアに表現する、そんな演奏を楽にできるはずはない。本人は、ほとんど死ぬかと思う気力で弾いているのである。それを、そうとは感じさせない。おしとやかな中にも関西チックな語りでもって、自分は死ぬ思いでいるにもかかわらず聴衆を知的享楽の中に引きずりこむ。これが、本当のプロ魂というものであろう。
 ただし--と最後に一言。それでも師匠を抜くことはできない。あたりまえのことではあるが。
 その壁に向かって一人のピアニストは、休む間もなく挑戦していく。

リサイタル評(1)

■2004/10/28 Thu  

 のっけから下品な表現で恐縮だが、「評論家なんか糞喰らえ」である。連れ合いの言葉を借りれば、「弾けもしないくせに、偉そうなこと言うな!」
 かくいうぼくも、弾けないどころか音楽はずぶの素人。それゆえ、偉そうなことは露も言えないのだが、それでも、日本のクラシック演奏会は、ちょっとおかしいんじゃないですかと憤懣を述べたい。
 そもそも誰のための演奏会であろうか。弾き手ではなく、聴衆に決まっているではないか。コンクールに優勝して有名になって、マスコミが囃し立て、リサイタルを開けば神業のように情緒もムードもなくひたすらアクロバットのように指を動かし、そしてミスなく弾けましたどうですか、とふんぞり反っている。そんな弾き手に共感も覚えず拍手をする聴衆も聴衆である。日本のクラシックが、知的な楽しみ場ではなく、自分勝手な弾き手と評論家の箱庭と化しているのはむべなるかなである。高い金だけ取って、楽しみを与えな

湘南電車

■2004/09/25 Sat  

 来月のJRダイヤ改定で、湘南電車が変わるという。たまたま東京出張していたのだが、その改定のためであろう、吉祥寺から東京までの快速が新宿駅の工事のために運休になっていた。それは不運ということで諦めるとして、帰宅後、TVプロードキャクスターを見ていたら、オレンジと緑のツートンカラーの湘南電車がなくなるというので、いささかノスタルジックな特集をやっていた。
 東京のみなさん、心配ご無用。オレンジと緑の湘南電車は、網干と野洲の間で走っております。あの緑の山手線も、青い京浜東北線も、いまなお関西では健在です。東京でお古になった電車は、みんな関西にやってくるのです。おかげで、関西の電車は、色とりどり、支離滅裂、いかにも関西チックで泣き出したいくらいに愉快です。

プロ野球宇宙法廷

■2004/09/17 Fri  

 プロ野球騒動の元凶は、読売の私利私欲であることは明らかである。1リーグであろうが、2リーグであろうが、他の球団は巨人と試合がしたいのであり、それは巨人が人気があって金になるからであって、その人気と儲けを当然といわんばかりに読売が独占し、プロ野球界全体のことを考えてこなかった、その罪たるや死罪に値する。
 よって、当宇宙法廷は次の通り裁定を下すものである。
 読売は無償で巨人軍を手放すこと。
 巨人軍は、東京都が無償で引継ぎ、東京ジャイアンツとし、収益の半分はプロ野球機構に、残り半分は都の財政の補填にまわすものとする。
 これで、プロ野球ファンも喜ぶし、東京都も一息つける。オール・ハッピーである。何か文句あるか。(文責:シンタロウ)

九死に一生

■2004/08/31 Tue  

を得たといっても過言ではないかも知れない。
 昨夜、台風16号の影響で六甲山麓は暴風が吹き荒れた。しかし、直撃ではなかったので、甘く見ていたのが災いした。夜11時半ころ、客人と連れ合いと3人でリビングで談笑していたら、突然、轟音とともにベランダ側の窓ガラスが砕け散った。映画の特撮で見るシーンより、もっと強烈だった。高さ2メートル、幅4メートル近くの1枚板のガラスが姿を消して、厚さ1センチくらいのガラスの大小の破片が、弾丸のように飛んできたのである。警備会社の警報が鳴り、ぼくは無我夢中で暴風雨の中、シャッターを引くためにベランダに飛び出し、あれやこれやの大騒動はここでは省くが、やや気を取り直して眺めれば、ガラスの破片は、リビングの部屋を埋め尽くし、樫の木のダイニングテーブルが、まるで新選組が付けた刀傷のように2箇所、抉られている。あと10センチ、座る位置がずれていたらぼくの頚動脈が切られていたかもしれない。そういう恐怖が襲ってきたのは、少しあとのことである。
 夜が明けてからベランダに出てみれば、大きな瓦が砕けて転がっていた。これが犯人らしい。何はともあれ、今朝からの素早い初動が幸いして、1日でなんとか現状が回復したのは信じられないことであり、奇跡的に怪我人が出なかったことも不幸中の幸いであった。
 若い頃には命がけの出来事も何度か経験したが、こんな思いをしたのは久しぶりである。災害恐るべし。肝に銘ずべきである。

プロ野球騒動

■2004/07/07 Wed  

 西武鉄道に乗ってみると、堤義明という人の思想が如実に分かる。
 駅のホームで時刻表を探してもなかなか見つからない。あるのはセンスのない広告ばかりである。この鉄道が、乗客へのサービスではなく、企業の利益を優先していることは明らかである。
 企業の目的は利潤の追求で、堤義明は父親からの帝王学によってそれを実践しているだけだから、その「思想」は、ある意味単純明快である(その対極として、複雑怪奇な堤清二がいる)。
 しかし、多くの人々にとって、人生の悦びは利潤の追求ではない。そのもっとも分かりやすい例が、プロ野球である。プロ野球ファンは、経済的利益ではなく、純粋な悦び(すなわち、それは文化の一形態である)として野球を捉えている。
 読売新聞と西武鉄道という、自らの利益を優先する企業によって、日本のプロ野球が牛耳られているのは、日本の不幸としか言いようがない。
 しかし、スポーツは、まだいいのである。まったく報いられないのは、真の美とは何かを追求している芸術家たちである。

ハルウララ

■2004/04/01 Thu  

 ミーハーは好きではない。どうでもいいようなことを、国民的関心事であるかのように報道するのが、気に入らないのである(コンプレックスであることは、本人が自覚している)。たとえば、タマちゃんである。東京の多摩川に現れたというだけで、英雄になってしまった(マスコミがそうした)。たかがアシカ(アザラシ?)1匹ではないか。世界にはタマちゃんより悲惨な子供が何億人もいるというのに。
 ハルウララもミーハーである。ところが、こちらはなぜか共感してしまう。地方の連敗者ということで、賞とは縁のない我が身に重ねるからであろうか。
 しかし、競馬の連敗というのは、それほど珍しいことなのだろうか。1対1の勝負なら、弱くてもまぐれで勝つこともあるが(我が囲碁しかり)、ゴルフや相撲やマラソンといった複数の勝負で優勝経験のない競技者というのはゴマンといるのではないか。たった6チームでも、阪神は18年間も勝てなかった。競馬のことはよく知らないが、優勝経験のない馬などゴマンといるはずである。ただ、100連敗もする前にほとんどは引退するのだろうか。とすれば、負けても参加しつづけたというところが真骨頂ということだろうか。
 負けても続ける。怠惰な小心者としては、座右の銘としたい。

牛丼

■2004/02/12 Thu  

 牛丼がなくなるというので、「吉野家」などは「ファン」が殺到したらしい。「吉野家」では、昔一度だけ牛丼を食ったことがあるが、値段の割には、まずまずうまかったと記憶している。それ以来、牛丼とはとんとご無沙汰である。それゆえ、今度の騒動は痛くも痒くもないのだが、世間の反応はどうもおかしい。
 もし、ぼくが日常的に「吉野家」を利用していたとしたら、アメリカでBSEの牛が見つかった時点で、牛丼を食べるのをやめるであろう。すでに輸入されている分については安全だという保証はどこにもないではないか。危険な肉に殺到する人がいるのは、非常に不思議である。
 そもそも肉食には、昔から危険がつきまとっている(フレデリック,J.シムーンズ『肉食タブーの世界史』山内昶監訳、法政大学出版局)。
ベジタリアン万歳! 

信州県?

■2004/01/09 Fri  

 田中長野県知事が、長野県の県名を「信州」に改称する検討をしているそうである。たしかに、長野というのは一地方の名前だから、信州の方が適切かも知れないが、それをするなら「信濃県」にすべきではなかろうか。信州というのは、信濃の州という意味だから、信州県では、州と県がだぶってしまう。道州制になったら、信濃州、あるいは略して信州とすべきであろう。(新聞の小さな記事を読んだだけの話なので、ひょっとすると、上のようなことは検討済なのかもしれないが)。
 神戸に住む人間が、なんでこんなことに興味を持つのかというと、ぼくの父親は信州(木曽)の出身で、つい最近までぼくの本籍は長野県だったからである。2年前まで先祖代々の墓まであった。信州人の教育熱心なのには辟易するところもあるが、木曽駒ケ岳と木曽谷の自然は、今もぼくの心の故郷である。

2006年10月27日 (金)

大佛次郎賞

■2003/12/21 Sun

  この部屋でも話題に取り上げた山本義隆氏の『磁力と重力の発見』が、大佛次郎賞を受賞した。それはもちろん結構なことである。ところが、その選評を読んでがっくりきた。
 選考委員5人の誰一人として、その物理的内容に触れていない。「数式の出てくるところは、いそいで頁をめくった」、「xとyが現れた途端、頭と胃袋が痛み出す数式恐怖症患者」、「私のような文科系人間にとっては苦手ゆえ」、「科学の本がタテ書きの日本語だった」など、要するに物理とは関係のない話ばかりである。選者の中で唯一理系の養老孟司氏は、東大闘争という背景によって選評を拒否している。
 けっきょく、あの元東大全共闘の山本義隆が、難解な物理学の話を面白く書いた、だから授けよう、といっているようで、これでは受賞した本人は納得がいかないのではなかろうか。
 音楽や芸術の分野を見ると、日本は西欧的な文化のない国だと痛感するが、それは科学においてもそうである。権威ある賞の選者が、文科系だから物理学のことは分からないなどと言い訳できることが不思議だ。文系であろうと理系であろうと、音楽、芸術、科学などに、それなりの造詣があることが文化人の必須条件ではなかろうか。

ほな、行こか。

■2003/11/08 Sat  

 関西のJRで11月からスタートしたICOCAカードを、さっそく使っている。なかなか便利である。東京では、SUICAがだいぶ前から普及しているが、関西人からすると、ネーミングが浮ついている。スイスイ通れるという意味でSUICAなのだろうが、JRに何で西瓜やねん?と思ってしまう。その点、ICOCAはストレートでよろしい。
 難点というほどではないが、チャージできる駅が限られていることと、カードを見ただけでは残額が分からないのが、少し不便である。もっとも既存のカードでは、履歴がすべて印刷されているから、焼き餅やきの奥さんだと「あなた、なんでこんな処に行ったの?」と質問される煩わしさがあるが、それがないのは便利かも知れない。
 それにしても、こんなカードが普及するのは、交通費が高すぎる結果である。1000円のカードでは通勤の往復にも使えない。学生時代、1000円あれば鳥取あたりまで行けたものだ(昔過ぎるか)。

権威と威厳

■2003/09/27 Sat

  巨人の原監督が辞任した。読売は好きな会社ではないから、大して関心もないのだが、ファンクラブ月例報告にも書いたように、7月のオールスター第1戦の翌朝、新幹線で原監督の素顔を見たので、昨日の辞任会見の発言がようく納得できた。読売の経営者はどうでもよろしい。原監督は、「巨人の権威と威厳を傷つけた」と言っていた。それは裏返せば、読売の権威と威厳を借りて指揮を執っていたということである。今回の辞任劇は、あの7月の、不成績を恥じるでもなく、読売のバッチを付けて記者たちに威張って答えていた必然の帰結である。大会社の社員であることで、権威があるかのように錯覚している人をよく見かけるが(親方日の丸の役人も同様であるが)、原監督も同類であったらしい。
 あえてアドバイスをするなら、JR山手線の胃薬の広告に「お腹のことは原に聞け」というのがあった。権威も威厳も捨てて、芸能界で三枚目を演じてみたらどうだろうか。

つまらないNHKニュース

■2003/09/04 Thu  

 テレビが面白いと思ったのは、中学校のときにはじめて我が家にやってきた当初のことだけだから、今さらテレビはつまらないと書く気もないのだが、たまたま見た今夜7時のNHKニュースは、本当につまらなかった。
 自民党の総裁選挙は、ネタ自体がくだらないから仕方ないとして、万景峰号入港については、なんで船の整備が出来ているかどうかなどということを、さも重大事であるかのように、まじめくさった顔で報道するのだろう。北朝鮮の船が整備不良であるかどうかなどということはどうでもいいのであって、何が日本に持ち込まれて、何が持ち出されているかこそ、みんなの関心事であるはずだ。一番知りたいことには何も触れず、ひたすらお役所のスポークスマンを勤める、NHKの真骨頂というところであろうか。
 昨夜、国会議事堂に雷が落ちたのは面白い出来事である。ぼくがこのニュースでいちばん知りたいことは、国会議事堂ともあろうものが、避雷針を設置していなかったのだろうか、ということだ。設置していなかったとしたら、それはなぜか。設置していたとしたら、それにもかかわらず建物に被害があったのはなぜか。そこが一番の関心事なのに、NHKさんは、これぞ特ダネといわんばかりに、落雷の瞬間の映像を流すばかりで、知りたいことを何も教えてくれなかった。
 今夜のことではないし、NHKだけではない新聞もそうだが、地震が起きたとき、走行中の新幹線がどうなったかを詳しく報道をしてくれるメディアはどこもない。新幹線のどこそこ間が不通だというだけである。きちんと自動停止装置が働いたのか、それとも運転士が止めたのか、地震発生後、列車は何メートルくらい走行したのか、そういうことが知りたいのだが、記者さんたちは事故が起こらないと、そういうことには興味を持たないらしい。
 かくして、テレビは見ない、新聞もつまらない、週刊誌は広告見出しで充分、ということになっていくわけである。

大接近の「誇大広告」

■2003/08/28 Thu  

 昨夜の神戸はくもりで、大接近の火星は残念ながら見えませんでした。今夜も無理みたいですね。
 火星の大接近がニュースになるのは、いろいろな意味で大いに結構なことですが、マスコミが6万年ぶりと強調するのは、へそ曲がりの身としては、不動産の誇大広告とよく似たものだと、いちゃもんを付けたくなります。TIME誌は、今回、火星は5570万キロに接近するが、これは火星との平均距離8050万キロより30パーセントも近いなどと書いていますが、2年前の接近が何キロだったか分かっているのでしょうか。やっぱり30パーセントも近かったはずです。
 そもそも最接近の距離が年によってずれるのは、火星(および地球)が円軌道ではなく楕円軌道を描いているからです。それでは、火星の軌道はどれくらい円軌道からはずれているのかといえば、コンパスで直径10センチの円を描いたときに、その鉛筆で描かれた線の幅以内で収まってしまうのです(地球は、もっと円に近い)。6万年ぶりだろうが何だろうが、火星が接近するときの距離は、いつでも似たりよったりということです。
 余談ながら、望遠鏡もない時代に、そんな火星の軌道のわずかなずれから、惑星は楕円軌道を描くと洞察したケプラーという人は、今更ではありますが、大天才であったのだなぁと感心します。
 どう考えても、昔の人の方が賢かったのではないでしょうか。

近況ご報告。

■2003/08/27 Wed  

 ちょうどひと月、ご無沙汰してしまいました。これがクラブなら、ママから冷たい視線を浴びるところですね。言い訳がましいですが、この8月は、原稿執筆の目算違い、突発的な雑用の多発、おまけに子供からもらった夏風邪で、散々でした。本当は、長編構想や物理の勉強を贅沢三昧にしようという計画だったのですが……。
 ムカデ騒動の後日談をしておきますと、あまりにムカデの砂を頻繁に購入するので目立ったのでしょう、業者がやってきまして、床下に砂を大量に撒いて、送風装置を2機設置しました。我が家よりまだ山手の住吉台では、見るのもおぞましいということで6機も設置した家があるそうです。その後の出現はありませんが、これだけ雨が多いと家の周囲の壁に塗布した薬剤も流れ落ちてしまいそうで、まだまだ心配です。
 前項の阪神連敗予想、当たらずとも遠からずというところですね。ふふふ。

甲子園球場の思い出。

■2003/07/27 Sun  

 昨日、久しぶりに阪神が負けた。それも大敗である。今日も負けるようなことがあると、大連敗の始まりになるかも知れない。20連敗とか30連敗とか(笑)。
 さほどの野球ファンではないが、アンチ巨人で、一応、阪神贔屓である。野村前監督が来る前の最弱時代には、よく甲子園球場に出掛けた。それも必ず3塁側に座る。空いているので、ビールを飲みながらの夕涼みに恰好であった。偶然であるが広島戦が多く、金本のでっかい尻を間近で見たものだ。
 あれほど空いているときでも、阪神ファンのメガホン叩きは、うるさくてしょうがなかった。野球そのものを楽しもうと思っている身には、耐えがたい。東京ドームの赤いハンカチも気持ちの悪いものだが、黄色いメガホンで椅子の背を叩く騒音よりは、まだましというものだ。
 当分の間、甲子園に足を運ぶつもりはない。30連敗でもして、すべてのメガホンがグラウンドに投げ込まれ、叩くメガホンがなくなったら、いそいそと赴くことにしよう。

書評。

■2003/07/20 Sun  

 今日の朝日の読書欄に、山本義隆の『磁力と重力の発見』(みすず書房)の書評が出ていた。この本は、気になる本だったのだが、まだ手に入れていない。
 独り言を言ってみたくなったのは、本の中身のことではなく、著者の山本義隆のことである。書評の評者が次のようなことを述べている。予備校時代に物理を習ったので懐かしく読んだ。……(しかし)「本書の著者名を聞いて、書評委員会は一瞬どよめいた。」
 これがとても面白かった。評者は、山本義隆という人を、予備校の物理の先生と認識している。しかし、ぼくら(より上)の世代は、山本義隆を東大全共闘議長として認識しているのである。その後、駿台で教えていることは知っていたし、ぼくも予備校で教えるにあたって彼の本を読んだりした。しかし、山本義隆は、ぼくにとって、断じて予備校の先生ではない。あの大学紛争の代名詞であり、彼が予備校などで教えているのは、どう考えても場違いなのである。
 しかし、現代の大学生で、彼の名前を知っている学生などほとんど皆無であろう。こんなことに感慨を感じるのは、半世紀も生きてきた証である。

電車通勤の思い出。

■2003/07/11 Fri  

 大阪と東京で、長いサラリーマン生活を送ったので、通勤電車にはいろいろ思い出がある。
 今、USJのおかげで賑わっている咲州線というのは、昔は桜島線といって、大学を出てすぐ工場勤めで、毎朝乗っていた。眠い目をこすり、満員で揺られて、あの殺伐とした美しいとはとてもいえない工場に向かうのは、厭で厭でしょうがなかった。はじめてJR(当時は国鉄)の大阪駅で、桜島行き電車というのを見たときは、ほー、この各駅停車は一体何日かかって九州の桜島までいくのだろうかと思ったものだった。
 東京では、最初川崎に住んだので、東急で通い中目黒から日比谷線の地下鉄に乗り継いだ。何年か前に、脱線衝突事故があったあの場所を通っていた。東急も混んでいたが、関西の阪急に似て、ぼくの好みの路線であった。
 その後、埼玉の草加に住んで、ラッシュの極みというのを味わった。東武伊勢崎線から北千住で地下鉄日比谷線に乗り換えるのだが、この北千住駅のラッシュが日本一混むところで、なぜ人間がホームから転がり落ちないのか不思議なくらいであった。ホームに立つのが怖いので、出来るだけ乗り入れ直通の電車に乗るようにしたのだが、勝手に会社を辞めて自分から選んだ好きな道とはいえ、あの頃はほんとうにしんどかったな。若いから出来たのであろう。それに比べれば、今は極楽である。
 現在、大阪への足としては、時間的な便利さでJRを利用することが多いが、時間があれば阪急電車を利用するのが好きだ。御影から各駅停車に乗って、六甲山の方を見て、岡本、芦屋川、夙川まで、子供に返ったように楽しんでいる。東急の田園調布あたりの景色もいいが、神戸の自然とマッチしたこの雰囲気には及ぶまい。

電車通勤。

■2003/07/08 Tue  

 昨日は車が使えなかったので、久しぶりに電車で通勤した。JRの快速は、4人掛けのボックスシートで、少し混んでいたので、ぼくは通路に立っていた。窓際に座っていた中年のおっさんが、分厚く何やらいかめしい書類を鞄から出して、シャープペンシルと付箋片手に読み始めた。他の乗客は無関心で、ぼくは背後から見ているので、おっさんは気づかない。表紙は見落としたが、1頁目のタイトルは、「被害届」であった。コピーではあるが、署名と捺印がしてある。2頁目は「供述調書」であった。ぼくは、見てはならないものを見てしまったのではないかと心配になって、目をそらした(こういうところが、作家としてのぼくの弱点なんだなぁ)。こっそりディジカメででも撮影して、インターネットで公表したら、罪になるのだろうか? おっさん、推理小説じゃない本物の事件なんだから、そんな仕事を電車の中でやりなさんな。

 電車通勤は嫌いである。満員の車中で隣りで咳をされたりしたら、途中下車してトイレに入って、イソジンでうがいをしなけれりゃならない。しかし、たまには面白いこともある。ファンクラブの月例報告にも書いたことがあるが、同じJRの路線で隣りの上品なご婦人がコントラクト・ブリッジの譜を読まれていたことがあった。あのときは、感激したなぁ。しかし、電車通勤でこういう楽しい経験をすることは、めったにない。

従業員の対応を見ればトップが分かる。

■2003/07/05 Sat  

 御影の国道43号線の近くに家電量販店「ミドリ」が出来たのは、つい最近のことである。その屋上にある看板があまりに目立つので、連れ合いと、品がないなぁと話していたのだが、安くて便利なので、このところディジカメやらDVDを矢継ぎ早に購入することになった。
 しかし、店に対しては失礼かもしれないが、いい意味で意外であった。店内に入ると、分業体制が確立していて、なかなか合理的な経営だなというのが分かる。何といっても、対応に当たる従業員のサービス精神が溢れているのがいい。製品についての知識も、まずまずいい線をいっている。顧客に対する対応も含めて、よく教育されている。品揃えもよい。電化製品を買うときは、当分は「ミドリ」で買うことになろう。
 それで思い出すのは、最近つぶれた「和光電気」である。六甲アイランドのリンクに入っていたのだが、店員の対応がとんでもなくひどかった。製品に関する知識がお粗末の限り、何を聞いてもぶっきらぼうに答えるだけで、一度行ったきり二度と行く気がしなくなった。
 案の定、会社はつぶれ、おまけに社長が逮捕された。家電店に限らない。すべての企業は、従業員の対応を一目みればトップの姿勢が分かるものである。それに気が付かない経営者がいるのが不思議である。
 ここ1,2年で気になるのは、コープ神戸である。目下、住吉のシーアは大繁盛で飛ぶ鳥をも落とす勢いに見えるが、はたして経営者の感覚はどんなものなのだろうか。他人事ながら、ちょっとほころびはじめているのではないかと、ぼくは感じている。

「考える人」

■2003/07/04 Fri  

 新潮社が1年前から、季刊誌「考える人」というのを出している。あまり期待をせずに1年だけ定期購読したら、案の定、面白くなかった。自分のことを軟弱者だとか人生半分降りるとか言いながら、本当は切れる頭であることを世に知らしめている人たちが、主要な執筆者であるのが、天邪鬼のぼくには気に入らない。人生半分降りるなら、大学を辞めるか、マスコミから姿を消すか、どちらかにしなさいと言いたい。
 しかし、最新号の宣伝がちょっと面白かったので、思い直して、再度定期購読をした。本日届いた2003夏号は、なかなか面白い。「粗末でみすぼらしい家」がいいですね。生物学者、三木茂夫の思い出を書いた、茂木健一郎の「思い出せない記憶」がまた面白い。過去のことが思い出せず、若い頃の自分がどんどん死んでいっているような切迫感を感じているぼくには、ちょっと共鳴するような処があった。

よく降りますねぇ。

■2003/07/03 Thu  

 神戸の災害は、地震だけではなく、水害も多いのだということを、神戸に住んでからはじめて知った。六甲山から大阪湾に一気に下る何本もの川(東灘近辺では、東から芦屋川、住吉川、石屋川)が、雨が続くと氾濫するのである。大きな被害を出した水害は、もう何十年の昔のことなので、地元以外では忘れられているに過ぎない。
 傾斜地では、土砂崩れも怖い。我が家も深い谷の上に建つ。眺望は抜群だが、それは土地が平坦ではないということを意味する。ここに住むことに決めたときにも、唯一の懸念はそれだったのだが、周囲を見渡してみれば、もっとすごい斜面に建つ家がいくらでもある。六甲山麓で傾斜地でない土地など、見つける方が難しいのである。我が家が崩れるときには、山の手一帯は全滅であろう。死なばもろともだ--と開き直っている。
 それにしても、これだけ雨が続くと、日本全国、きっとどこかで土砂崩れが起きるに違いない。雨はなくてはならないが、多すぎても迷惑だ。いくら科学が進んだといっても、天候さえままならないのだから、人間なんて所詮無力な存在である。

2006年10月19日 (木)

世襲

2003/07/02 Wed

 先ほどテレビを見ていたら、本田宗一郎の長男が脱税容疑で逮捕されたと報じていた。偶然であろうが、その直後にホンダのコマーシャルが流れた。それが何ともいえないアイロニーで面白かったので、ちょっと独り言をいってみたくなった。
 脱税は悪ではあるが、小悪である。巨悪は、税金を無駄遣いする役人たちである。脱税は法律が処罰するが、税金を無駄遣いする役人は誰も処罰されない。それだけ罪は重い(そのボリュームを考慮すれば、死刑をもってしても償えまい)。 節税が美徳のように見えるのも、そのせいである。税金が本当に有効に使われていれば、誰だって(良心のあるかぎり)税金を払うことを誇りに思うだろう。税金を払うことが、損をしていることのように感じる、そういう社会がおかしいのである(そんな税金泥棒の役人になりたいという、エリート大学生が多いのも問題だ)。
 話をホンダに戻そう。
 我が家は、個人的な理由もあってホンダ贔屓である。車もオデッセイだ。正直言って、トヨタは好みではない。家電メーカーでいうと、ソニーは好きだが、松下は好まない。個人的な理由はさておき、世襲を是とするような組織は、ぼくの好みではない。
 本田宗一郎が世襲を排したのは、正解であった。長男を後継者にしていれば、どんなことになったやら(金日成の最大の悪徳は、息子を後継者にしたことである)。
 息子がかわいいのは、親として当然である。しかし、のれんを守るためには外部から優秀な番頭を抜てきする、浪速商人の知恵は大したものだ。いや、血のつながりなどどうでもいいのだ。自分の意志を継いでくれて、自分を乗り越えていってくれるような後継者が現れてくれるなら、わずかなDNAの断片などにこだわる必要がどこにあろうか。
 しかし、昨今は実業界のみならず、政治家から芸能人、スポーツ選手まで、二世ばかり。日本が没落するのも、当然のような気がする。

2006年10月18日 (水)

今年のムカデ

2003/06/26 Thu

 ぼくの執筆スタイルは、平机に胡座である。椅子と机は、サラリーマン時代を思い出して落着かない。5分書いては10分ごろ寝という怠け者スタイルが大好きである。
 5月の末のある夕刻、執筆に疲れ絨毯の上にのけぞろうとしたが、ふと殺気を感じて後を振り返ったら、1メートル足らずの所に、巨大なムカデがこちらめがけて突進してきていた。
 本丸に不意打ちをくらったという、9.11に似た恐怖に襲われた。書斎は2階にあり、去年は20匹近く出たムカデだが、すべて1階と地下室で、2階にはまったく出なかったのである。昨年夏に、ムカデ退治の砂を購入して家の周囲に撒いたら、秋以降は出なくなった。今年も用心して、3月に20キロを撒いたので安心し切っていた。
 そんなわけで、2階にはムカデ・アースを常備していなかった。不覚であった。パニック状態で、手元にあった雑誌を丸めて一撃を打ち下ろしたが、動揺のせいで完全に的をはずしてしまった。ムカデは、素早く身をかわし、座り机の脚の隙間に隠れ込んでしまった。1階まで駆け下り、ムカデ・アースを手にして、再挑戦だ。スカッド・ミサイルを手にしたような気分だ。
 ムカデが隠れたあたりに思い切ってスプレーすると、出てきた。10センチ以上はある体をくねらせ、のたうち、それでも弱った様子もなく絨毯の上をかけずり回る。30秒ほど追い駆けっこをして、『岩波科学百科』の上でやっとおだぶつとなった。
 硬直した死体を割り箸で掴んで、つくづくと観察する。5億7000万年の自然選択を経て完璧に適応した動物界の王、節足動物の誇らしげな強靭さに感服する。
 翌日、さっそく砂を再注文した。
 我が家の西側は、六甲山麓の深い谷である(写真)。そこにはイノシシを筆頭に、さまざまな動物が棲んでいる。ムカデもその谷からやってきたのに違いない。
 いくら建てたら気が済むのというくらい、マンションが林立する。六甲おろしの吹く谷と森の緑は年々減っていく。住処を奪われたムカデは、ますます我が家に「テロ攻撃」をしかけてくることだろう。

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気になるたこ焼き屋

2003/06/25 Wed

 3月のお彼岸に、阪神御影駅の南をぶらぶら歩いていたら、屋台のような小さな店だが、妙に気になるたこ焼き屋を発見した。名前を「よってって」という。思い切って入ってみたら、カウンター4席、テーブル1台の、下町そのものといった店なのだが、マスターも奥さんも庶民的ながら、えもいわれぬ品がある。正解であった。たこ焼きとビールを飲んで、軽い会話を交わして帰った。
 それから、家族も連れて毎週のように通ったのだが、5月の連休明けに寄ってみたら、本日休業の看板が出ていた。それから2ケ月、未だ休業である。マスターに何かがあったに違いない。
 2年ほど前に、六甲アイランドの「しゃぶしゃぶアイランド」も、突然閉店してしまった。生で食うとひときわうまい牛肉で、しゃぶしゃぶにするのがもったいないくらいなうまさなのに、なぜかいつも客は我々だけであった。それでも、マスターのおじいちゃんは仕事に誇りをもっていた。あのおじいちゃんは死んでしまったのだろうか。

過去ログ

旧「隠れバー 別室」が消滅したのは残念ですので、バックアップしておいた分を逐次アップしていくことにします。日付は本文1行目に表示します。ご了解下さい。

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